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(3)本来の「安全」との矛盾
● | これまでの災害防止と本来あるべき「安全」とが、矛盾する点を挙げてみましょう。 | ||
主観的であること | |||
「安心」は主観的要素が強く、「安全」は客観性が必要と述べました。しかし、安全パトロール、ヒヤリハット報告、KY活動、改善提案などは、いずれも、提案者らの意志が強く作用しやすく、主観的になりがちです。「自分はここが問題だと思う」といった偏りや、「こんなことを報告したら叱られる」、「改善案のない問題点は挙げづらい」などの考えにより、取捨選択が起こりやすいということです。 |
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散発的であること | |||
国際的な「安全」の定義は、『許容できないリスクがないこと』です。「ない」ことを証明するのは難しいのですが、つまみ食いのように調べて「ない」では、説得力に欠けます。少なくとも問題点をひととおり、順序立てて調べた上で「ない」とすべきでしょう。 一方、これまでの災害防止は、目に付いた順、気づいた順に行われていたと言わざるを得ません。いつまでも指摘されない問題がある一方で、似たような問題点が繰り返し指摘されるのは、その証拠です。パトロール回数を増やし、あるいは提案の件数を増やしても、根本的な解決にはならないでしょう。問題点を散発的でなく、順序立てて調べる方法が必要です。 |
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「度合い」の概念がないこと | |||
「解決されない問題点があってはならない」、「改善の結果リスクが残ってはならない」といった考えが、わが国には根強くあります。言い換えれば、全ての「危険」を取り去らなければならないという考え方です。しかし、少々極端過ぎないでしょうか?実際には、技術的に解決できない問題や、完全に取り去ることができない危なさもあります。むしろ、危なさを完全に取り去ることの方が難しく、現実離れしていると言えます。 この世の物事は、「危険」と「安全」に、はっきり分けられるものではなく、ほとんどがその中間にあります。「危険」寄りであるか、「安全」寄りであるか、突き詰めれば「度合い」の差に過ぎません。 対策を講じても、危なさを完全に取り去ることはできないことを認識した上で、可能な範囲で危なさの「度合い」を下げ、その「度合い」を見定めて、どのくらいの「度合い」で受け入れていかを考えるのが現実的なとらえ方でしょう。 |
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